白滝地域(1893年〜1946年)


西 暦 年 号 白滝地域
1893 明治26 八号滝ノ上駅逓が開設、取扱人長野県人 中沢汲治(昭和8年廃止)駅逓敷地内に野菜を栽培し、これがこの地の農耕の始まり。
1900 33 石北峠休憩所(石北峠駅逓所の前身で現北見峠)設置され石上藤蔵が取扱人となる。
1902 35 北見峠駅逓所開設、中沢兼三郎が取扱人
    旧白滝17号に石上藤蔵特願入植、開拓農家の第1号
1903 36 石上藤蔵白滝地域で初めてハッカ耕作
1904 37 白滝原野、南丸含む解放
1909 42 旧白滝に山本治作入植、開拓農家第二号
    石上藤蔵二股渡船(東区)の渡し守りを始める。
1910 43 (宮城県人)太田熊吉、菊地長治、青山右近、吾妻祝吉、内田三蔵、(岩手県人)小笠原伊勢松ら旧白滝に入植
1912 45 3月、紀州団体54戸白滝・上白滝に入植(総代人植芝盛平)白滝開基とする。
1913 大正 2 2月、白滝部落独立、部長植芝盛平となる。
    3月、秋田館合団体(総代人佐々木三之助)14戸、支湧別へ入地。
    4月、秋田稲庭団体(総代人平一郎)11戸、支湧別へ入地。
    4月、石上・太田・菊地ら旧白滝の住民で、私立旧白滝教授場を開設。
    5月、宮城県団体(総代人菅原久蔵)10戸、奥白滝へ入地。
    福島団体(総代人大庭重次)18戸、奥白滝へ入地。
    6月19日、白滝二股に白滝教授場開所。
    10月、奈良団体(総代人井村謙二)11戸、支湧別へ入地。
    全道大凶作に見舞われる。
1914 3 二股市街に初の開業医(赤坂医院)
    2月、山形団体(総代人五十嵐長五郎)15戸、奥白滝へ入地。
    福島団体(総代人古関六兵衛)15戸、奥白滝へ入地。
    長野団体(総代人辻喜一郎)10戸上支湧別へ入地。
    上白滝倉橋伝三郎、切手売捌所を始める。
1915 4 1月11日、奥白滝に滝ノ上教授場、7月19日、上支湧別教授場開所
    3月、白滝原野三部落に分れ、二股・東海林専太郎、支湧別・三石音次郎が部落長となる。
    4月1日、網走警察署湧別分署白滝巡査派出所設置
    白滝原野刈分け道路(支湧別道路)完成
    12月24日、道庁指令により、「滝ノ上」を「上白滝」と改称
1916 5 沼田外次郎上支湧別で水稲を試作
    網走営林署白滝保護区員駐在所設置
    奥白滝部落独立、部落長が岸利七となる。
    支湧別五線に家庭学校分校が建設され少年矯護始まる。
    10月、滝ノ上教授場を上白滝教授場と改称
    11月30日、白滝原野道路(支湧別道路)開削
1917 6 菊地善吾 除虫菊を試作
    3月、上支湧別部落独立、部落長が三石音次郎となる。
    5月23日、白滝大山火事発生、焼失戸数250余戸、焼死者3名、重軽症者25名、損害額30万円
    12月1日、白滝郵便局設置
1918 7 二股市街に初の獣医(菊地清治)
    佐藤平一郎、金枝兵重リンゴ栽培
    2月、旧白滝部落独立、部落長が新保国平となる。
    5月、上湧別村白滝消防組を二股市街に設置、消防後援会設立。
    上湧別第五回村議会選挙で植芝盛平当選、白滝選出初の議員となる。
    6月12日、小島寛一郎、奥白滝に硫黄鉱泉の免許を取る。
    6月20日、上白滝教授場を奥白滝尋常小学校に昇格。
    7月11日、支湧別教授場小学校に昇格。
    8月26日、白滝教授場尋常小学校に昇格、旧白滝特別教授場は白滝尋常小学校の所属となる。
    9月、岡本幸八、岡崎儀蔵、宮本辰八、山本善七ら共同経営の澱粉工場操業、白滝初の澱粉生産
    10月11日、東白滝教授場開所。
1919 8 第1回遠軽村議会選挙で白滝から佐藤勇次郎、岸利七当選
    在郷軍人会遠軽村白滝西分会結成
1922 11 天狗沢より中央道路に抜ける幹線道路(4680m)が白滝初の村道に認定
    5月、上川遠軽間鉄道の実測着手。
1923 12 支湧別信用販売購買利用組合設立
    遠軽白滝道路改良期成会結成
1924 13 白滝尋常小学校に高等科併設
    11月10日石北線速成請願団上京出発(カボチャ団体の陳情)
1926 15 白滝尋常小学校に青年訓練所併設
  昭和元 丸瀬布〜白滝間鉄道選定認可
    丸瀬布〜下白滝間工事着工
1927 2 白滝火災予防組合誕生
1929 4 白滝信用販売購買利用組合組織
    石北線(丸瀬布〜白滝間開通)白滝駅、上白滝駅、白滝線路分区業務開始、白滝機関車給炭水所業務開始
    西出運送店開業
    上支湧別青年団乾電池式ラジオ購入
1931 6 北海道農産物検査所白滝出張所設置
1932 7 石北線全線開通、上白滝、奥白滝駅開業駅、奥白滝線路分区業務開始
1933 8 白滝運送店開業
    白滝市街火災(10棟11戸焼失)
1934 9 支湧別川向い開拓移住24戸
    白滝産業組合設立
    6月30日、第1回遠軽町会議員選挙。白滝から中山徳蔵、鈴木富治、井村謙二当選
    7月25日、白滝部落規約を設定
    奥白滝高台水路施設完成
1935 10 白滝林産物検査員駐在所設置(昭和42年閉鎖)
    青年訓練所を白滝青年学校に改称
    旧白滝ホロニューベツ川上流に埋蔵する硅酸白土採取開始
1936 11 天狗沢に33戸移住
    旧白滝特別教授場、東白滝教授場は尋常小学校に昇格
    奥白滝農村電化施設
1937 12 支湧別五線沢開拓移民20戸入植
    支湧別尋常小学校を尋常高等小学校に改称
    奥白滝森林保護区員駐在所設置
    白滝郵便局電信電話事務開始
    東白滝雑用水路施設完成
1938 13 北海道猟友会遠軽支部白滝分会結成
    農地調整法により農地委員会制定
1939 14 白滝に国民貯蓄組合結成
    丸瀬布住民分村問題を議したが白滝住民反対
    消防組と防護団が合体し警防団となる。
1940 15 支湧別青年学校設置
1941 16 遠軽産業組合白滝事務所と改称
    戦時生活必需物資統制令によりあらゆる物資の切符制、通帳制実施
    白滝官行斫伐事業所白滝市街に設置
    丸瀬布と白滝を一つにした分村問題、役場庁舎位置で意見が合わず否決
    上支湧別電気利用組合の力により上支湧別電化
1943 18 遠軽町役場白滝出張所設置、初代出張所長小沢喜誠
    支湧別青年学校を白滝青年学校に吸収統合
    家庭学校支湧別第二農場自作農創設
1944 19 遠軽町農業会白滝支所となる
    従来の各運送店は日本通運(株)遠軽支店及び旭川支店の傘下となる。
1945 20 初の電話交換事務開始(電話施設家庭3戸)
    白滝発電所設置され市街地区に電気の供給開始
    日本義勇隊遠軽大隊白滝中隊編成される。
    白滝、丸瀬布を二分割した分村問題起きる。
1946 21 1月13日、白滝地区住民大会により分村を決議。
    2月26日、遠軽町議会において丸瀬布、白滝分村の件可決
    4月26日、住民代表北海道庁に対し分村の陳情を行なう
    7月26日、道庁告示される。
    8月1日、白滝村設置
    白滝村民生委員協議会設置

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