植芝盛平ゆかりの地碑


植芝盛平
カテゴリー: 白滝 

しらたき開拓移民団団長であり合気道創始者-植芝盛平-

大東流を習得した頃の植芝盛平

大東流を習得した頃の植芝盛平

明治45年、合気道開祖、植芝盛平は移民団80名を率いて和歌山県から入植して来ました。
凶作や冷夏が続き苦しんだ末に迎えた4年目、収穫が徐々にあがり始めると、盛平はその勢いに乗って、収入の良いハッカの栽培、商店街づくり、小学校の建設、保健衛生管理の組織づくり、さらには神社も建立するなど、住み良いまちづくりに励みました。
大正4年には大東流の達人武田惣角に遠軽において出会い、その機縁より自宅に招いての練磨により、武道の眼を開きましたが、大正8年秋には故郷より父の危篤の知らせを受け、意を決して家族ともども白滝の地を離れました。 
そして、大正9年、盛平は京都で「植芝塾」道場を開設。武田惣角から学んだ大東流とその他の古武術を融合させた独自の武術をつくりあげていきました。昭和17年、69歳の時、正式に「合気道」と命名をし、合気道の創設者となりました。

植芝が建立発起人だったとされる上白滝神社

植芝が建立発起人だったとされる上白滝神社

 


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