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カテゴリー: 丸瀬布 

街の発展を支えた東洋のパン王-水谷政次郎-

水谷政次郎

水谷政次郎

大阪に多数の店舗を構えた“マルキパン”の創業者である水谷政次郎はパン作りに欠かせないイースト菌の国産化に成功したり、パン製造ラインを構築するなど日本のパン産業の歴史に大きな足跡を残し“東洋のパン王”と呼ばれた人物です。
大正11年、水谷はパンの原料である小麦粉を確保するため、石北線の開通を見込み、沿線の丸瀬布に小麦栽培のための農場を創設しました。
しかし、大正13年、政府の財政状況悪化により、石北線建設延期の発表がされると、小麦の運賃が高くなってしまい、農場を創設した意義がなくなることから、水谷は1万円の運動資金を拠出し、カボチャ団体を組織し活動を影で支援したという話が残されています。
また、駅や道路、橋、お寺づくりなどの街の発展を支え、現在も“マルキ通り”や“水谷橋”など水谷ゆかりの地名が数多く残されています。彼の功績の一つである弘政寺には、水谷政次郎の名が刻まれた修行大師像が残っています。

昭和12年頃 マルキパン 水谷農場事務所前にて

昭和12年頃 マルキパン 水谷農場事務所前にて


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