遠軽駅
えんがる鉄道物語
遠軽駅は大正4年に開設。鉄道の敷設は、林業などをはじめとして地域の発展に大きな役割を果たしました。
大正13年、第一次欧州大戦後の不況と翌年の関東大震災の影響から、政府は財政緊縮策として予定されていた石北線鉄道敷設工事の延期を発表しました。
石北線が開通すれば、遠軽〜旭川間は約4時間ほど短縮されると見込まれていたため、沿線住民たちは有志を募り、陳情や請願活動を行なう一団を組織しました。
「貧しい農民は鉄道がなければ安い米が食べられない。毎日カボチャばかり食べている。」と現状を訴えようと国会の控室などでカボチャを広げて食べる百姓風の風景は、「カボチャ団体の陳情」として報道され全国的に有名となりました。
この様なカボチャ団体の必死の叫びによって鉄道敷設工事着手の約束を得ることができ、昭和7年に開通されました。
このような先人の努力の末に遠軽はこの後、名寄本線と石北本線の分岐点となり、交通の要衝として発展することとなります。