えんがるストーリー構築プロジェクトシンポジウム
■佐々木
最後に会場の皆様からのご質問をお受けしたいと思います。
■質問者(お一人目)
中央道路の事でどうしても、ちょっと皆さんともう1回僅かな時間おさらいしてみたいなと思いました。あの中央道路は囚人が作ったという事ですけど、囚人が、100%囚人が作ったんですよ。どこの囚人かって事触れてない。かゆいところ手が届いてない結論で終わろうとしていました。冊子の2ページの所で集治監という言葉があります。
これは明治10年から15年位に内地の方で囚人が多くなりすぎて行くところがなく、北海道に送り込めっていう事で月形集治監、三笠集治監、そして釧路集治監。
北海道に3つの集治監を作ったんですよ。これが書き漏れてるのは大変な失敗です。月形は札幌の近くで、石狩川の洪水を防いで、石狩川の堤防作って、国道12号線を作る。これが大きな狙いでした。三笠は石炭を掘って、小樽から船で送るんで、そのための労働力。釧路の集治監は川湯の硫黄を掘ります。
その頃の日本というのは火薬が何よりも惜しかった。だから、火薬の原料をを10年位掘りました。そして、明治22年にそれが一段落した時に釧路に、標茶っていう所に集治監ができ、その釧路の集治監が網走に引っ越して。網走から上旭川まで今度は中央道路作ろうという発想だったんです。結論から言うと、中央道路は釧路の集治監の囚人が作ったんです。私達が教育受けた頃は高等学校の社会、社会科で国史っていう単元がありました。
その時にこの事が詳しく先生がお話してくれた事がありました。それで前半の徳弘正輝の事ですが、刑務所の囚人は誰が来たというと、これは当時の四国、自由民権運動を活発にした士族の出の人が9割9部の人だったんです。したがって徳弘も四国で自由民権運動のトップリーダーだったんです。
中央政会に陳情に来たんですけども、その時に「お前が四国に帰ったら四国ではお前を狙ってる者がいて、お前は囚われの身になるぞ。最小限度東北、島流し。あるいは終身刑。事と知られれば死刑になるぞ」。という脅かしがあったという様な話を聞きました。 「それよりも北海道に行って別な仕事につけ。お前はまだ若いんだから」というアドバイスがあった。という事を今思い出したんですが。
■中村
今回も様々な例を詳しく取り上げようとしたんですが、時間の制限がある関係で、本当にさわりの部分の中で紹介させていただきました。もし、不足する内容がありましたら、改めてこちらからお話をお伺いするという方法をとっていきたいと思います。
本当にお話の最中に申し訳ありません。
■質問者(お二人目 谷藤様)
今日は貴重なお話ありがとうございました。
チラシで、このイベントを知り、手帳にきちんと書いて駆け付けたんですが、今日は色んな話がひとつにつながりました。
今年9月白滝で行われた100周年記念でイベントの際は、尺ルートという楽器で演奏させていただきました。私はこの尺ルートを遠軽から世界に発信してる谷藤と申します。演奏した時に白滝の子供達が、先程の植芝さんの物語をDVDに残してあるということで、それの映像や会場にあった色んな資料を見せてもらいました。でもその時はそこで止まってたんです。
また、安彦先生が王道の狗を出されてすぐ、上湧別出身の画家で亀岡トモコさんという方からぜひこれ読んでくださいと言われ、読んだ時に徳弘さん、武田さんのお名前が出てていました。そして昨日、遠軽教会でクリスマスコンサートをさせていただいたんです。ここの100年史が、2年程前出てるんですが、その中に出てた事が今日のお話の中にも出ていて、まず理想郷を作ろう、キリスト教の理想郷を作ろう。そしてもう1つは、大学を作ろうと。牧師様がおっしゃってましたが「その2つの夢は消えたけれども、今もこうやってこの遠軽の教会は残ってるんです」。
その時、お話をしてくださったのが薄荷の話でした。1度教会は火事で焼けています、焼けた時は大変でした、戦前ですから。信者の人達が一生懸命働いた蓄財を出して、薄荷の栽培をしてる人達がお金を出しあって、今の木造の教会が出来てるんですよと。
私は遠軽に骨を埋めるつもりで住宅も建てたんですけど、まだ16年しか住んでないもんですから。安彦先生の漫画を読んで、植芝さんの話を聞いて、そして昨日の教会の歴史を見て、今日ここで全ての事が繋がったので大変嬉しく感謝しています。
このストーリー構築プロジェクト。ぜひもっと広げて、いつか文化センターができたら、他所の町でやってる様に子供達も大人も一緒に参加して、音楽の町・吹奏楽の町ですから、そういうものも取り入れて大きなプロジェクトを組んで、町民でこの歴史を分かち合えればなと思いました。
■質問者(三人目)
私この会場のすぐ側に住んでいて、日曜日の午後っていう事で時間もあったので参加してみました。
質問ではないんですが、お話色々聞かせていただき、私達が今考えてた事と非常に符合するなという事を今しみじみと感じました。
私、遠軽町体育協会の者なのですが、遠軽町体育協会は今年から体育施設の指定管理者という事になりました。
この指定管理業務をベースに様々なスポーツの振興、あるいはイベント、あるいはスポーツ大会、合宿誘致など、色々と実施して行こうと思っています。その中の一つとして、先人の道を歩くというウォーキング大会をやろうかと思っています。
この点については役員会を通してこの後新年度の、平成25年度の総会にかけて決定をして、実施をするという事になりますけれど。
今ここにあります様に、信太寿之さんのとこにありますように、遠軽町、明治30年5月7日に湧別の浜に121名が1日かけて湧別から学田まで、お年寄りも、ご両親に背負われた小さな子供も含めて、1日かけて遠軽、学田に入って来たというのがございます。これにちなんで、湧別の浜から遠軽まで20数㎞あるんですけども、これのウォーキングの大会をやろうかなと今思ったわけです。
そして遠軽町では毎年6月15日に開基祭というのをやってまして。これは開拓先人の苦労に感謝し、そしてまたこの後の遠軽町の発展を皆で誓い合うという、こういう式典でございますけども。
これが平成25年の6月15日だと土曜日なんです。ですからこれに、絡ませて次の日の日曜日にと思ってたんですけども。
このアンケートの後ろの方に「どの様な方法だと興味・関心が持てると思いますか」、「あるいはどの様にしたら受け継がれていくと思いますか」という設問がありましたので、これはこのえんがるストーリー構築プロジェクトの方々と一緒になってですね、このイベントをやると凄く意義が出るかなという風に思いました。もしよろしければ一つそういう事で一緒になってやって行けたらいいなと思いました。よろしくお願いします。
■佐々木
素晴らしい意見が出て、こうやってどんどん話が広がっていくと本当にこちら側としても、本望だという風に思います。
それでは、今日のお話を踏まえて今後の町づくりの指針になる様な郷土史コンテンツが出来る事に期待して、本日のパネルディスカッションを終了させていただきます。
皆様本日はお越しいただきましてありがとうございました。