えんがるストーリー構築プロジェクトシンポジウム



■佐々木

伊藤さんのように、若くて遠軽を広めようと一生懸命活動している方は非常に貴重だと思いますので頑張って欲しいと思います。

■中村

私達もこのような今回の事業の中で、様々なエピソード抽出させていただきました。しかし、この遠軽の地域も120年からの歴史がある訳でして、エピソードを拾い出しても、ほんのごく一部なんです。これからもそういう関心を持って調べて行けば、これからまた、いろんな話題性のあるエピソードが出てくるであろうし、年配の方々にも色々聞取りをさせていただきました。その中で「このようなことは非常に大事な事なんだ」と。「誰かがやらなければならない」「是非、後世に残るようにして欲しい」と、皆さん一様にこの事業を通じて言われました。

これは私達が後世に伝えていかなければいけない大事な部分なんだと僕も痛切に感じました。ただ、こういう事を残していって欲しいとかっていう事を、そういう方達が誰に言えばいいのか、今まではそれがわからなかったのではないかと。そこに、たまたま私達がそういう口火を切ったという事で、ぜひ後世に残るようにして欲しいという思い語られていたと思います。

また、今回の事を通じて東儀さんという方なんですが、あの方が言われたのが「いくら英語が上手で英会話が堪能でも、英会話に苦労しなくても、その外国の人と接してお話をした時に、その人が日本の文化の事を知らない人であったら、薄っぺらな通りすがりの話にしかならないんです」と。「やはり日本人は日本の文化というものを知ったうえで、そういう人と接する事によって深みが出るんですよ」という話をされていました。

私もなるほどと思いました。これは観光という面でも同じだと思います。先ほども出てきた、地元の人が地元の事を知らないという事と同じなんです。

ただ、上辺にある観光、遠軽で言えば「コスモス園があります」と、いくらそれだけを言ってもなかなかよその人には通じていかない。やはりコスモスも含め、それにまつわる遠軽の歴史的な背景だとか、この町はこういう町なんだ、という事をまず自ら理解する事が大切だと思います。

自分の町はこういう町なんだと自分なりのイメージ・意識を持つことが大事なんだろうと。

今回の事業を通じた中でもう一つ思った事は、歴史の中からいろんなそういうエピソードを抽出しようとした時、町史や歴史書をどこからどう手をつけていいかわからないかったんです。これは皆さんまったく同じことだと思います。そこで、先程のお話のように物語風やエピソードなどにして拾い上げ、それを物語風にするとか。そういうものを一般の人の目につくように、手に触れるように、考えていくと多くの人へ広がって行くのではないかと考えています。

■佐々木

今日は歴史の話でしたが、会場にいらっしゃる方の中には歴史が好きな方も、あまり興味がないという方もいらっしゃると思います。ただ歴史が興味がないというのは子供の頃から歴史の勉強が好きじゃなかった、年表の羅列ばかりで年号を覚えるのが好きじゃなかったという事も多いと思うんです。

やっぱり歴史を好きになるというのは、まず時代背景とか人物を知るっていう事だと思います。最初の開拓者やその町の特産品を作った人、そういった人達の苦労や喜びから学んでいくと、共感できてその歴史が自分のものとして吸収でき、子供や孫にも伝えていけるような内容になると思います。ですから番組でも伝えて、一番重要に番組で伝えていこうとしてるのは、その史実とか年表ではなく、その人の内面の話なんです。

人物の性格のお話を人に伝えることで、初めて聞いてる方に感動が与えられる。感動っていうのが一番大事だと思うんです。この遠軽の歴史もどんな方向でも、まずはドラマティックに感動を呼び起こすっていう事が、今回の事業の成功に繋がるのではないか思います。

さらにまた面白いシステムを観光や商業で二次活用することで内外に広めていき、自分達の町は凄いんだっていう事を、町の皆さんが知ってもらいたいという事を、強く思います。

では最後に、今日のパネルディスカッションについての感想や、これはぜひお話しておきたいという事をパネラーの皆さんからお願いしたいと思います。

■安彦

また少しお話がずれるかもしれませんが、歴史が“風化”するという事よく言うんですよね。

震災の体験が風化するとか、戦争体験が風化するとか。時間が経って風化するんじゃないかな、という心配をあちこちで言われるんですけども、僕はその風化する、時が経って風化するという言い方は嫌いなんです。

時が経って、初めて歴史が歴史になると逆に思います。ただ記録は残さなきゃいけない、生の声は聞いておくべきだ。そこで失われる物は最小限にして欲しいと思うんですが、お酒なんかと同じで、ある程度の時間が経ないと歴史というのは良い味をかもし出さないのではないかと思うんです。

だから今若い人達が、よく「若い人達は戦争の事を知らないしどうのこうの」とか何とかって言うんですけどが、意外と若い人達が過去の日本の戦争の事とか、さらに遡って幕末の志士がどうこうだって事に対して生き生きと関心を持ってたりするんですね。

遠軽の話からは飛躍しますが、子母澤寛が彰義隊の生き残りのおじいさんに、色々聞かされたことを基にして新撰組始末記を書く。それを読んだ人達が新撰組というのを知って、歴史としての幕末を追体験していくという事と同じように、やはり時間が経って良い味がかもし出されてくる。開基100年、140年。あるいは例えば500年も。

そういう意味では徐々に必要な時間を経過しつつある。だから時間が経って忘れられていく、風化していくという事ではなく、これからがいいんだよ。という風に考えたいなと。そのためにも今失われていない資料、今聞いておける話とか、そういった事は、だからこそ大事にするべきという気がします。

■浅利

安彦先生のお話を伺いましてちょっと安心をしました。町長さんの考えた文章の中に「遠軽町の宝は子どもです」という文章を見つけました。その子供達を預かっている私達の責任は凄く大きいという風に思っています。その子供達は今、遠軽で学んで遠軽で育っています。この先きっと遠軽を創り出す人達になるだろうと思います。

そういった意味では現場の私達が、私達ももっともっとこう遠軽を掘り起こして、子供達に様々な体験や感動を与えていかなきゃならないと今回つくづく感じました。そのような意味も含め、先程の教育に対する皆さんのご支援っていうのは本当に私はありがたいと思ってますし、今後ともいろんな場面でご協力やご意見いただければありがたいという風に思っております。

■伊藤

先程浅利先生から、小学校3、4年生社会科副読本の「えんがる」っていう教本のお話がありましたが、これは私が小学校の時も同じ物があって実際に社会の勉強の中で、これを使って遠軽の歴史を先生から教えてもらいました。

今回のシンポジウムに参加するにあたって、自分の歴史の中で1番遠軽の事を知った時はいつだったろうと考えたんですが、当時私が使った時はがんぼう岩の水彩の絵が表紙でしたね。

囚人道路の事もすべて学校で先生から随分深い話を習いました。これは年をとっていくつになっても、覚えているんですよね。ただ時間が過ぎていくと、なかなか外に出た世界の中で歴史を知る事は町の中でも少なくなっています。

学校で自分達の町の事を習い、今度は家に帰って町や外に出てきた時に、その興味を受け止める様な受け皿、当時の事を話せる方が少なくなってきました。

知りたいと思った時、話が聞けるおじいちゃんがいるような場所だったり、簡単な事を教えてくれる大人がいるような場所、新しいものを作っていくことも大事ですが、口伝えや経験を語り継いでく事もできると思うので、そういった私達個人個人の取り組みも含め、教育の現場でも冊子の活用、観光としてのコンテンツ化、観光など行政の方で力を入れていくなどこの3つが力強く合わさると良いと思います。

また、遠軽は4ヶ町村という4つの歴史が重なる場所なので、町の人達の宝物でもあると思います。私もこれから遠軽っ子としてさらに誇りを持って生きていく事ができる、大事なものになっていくのではと感じています。

■中村

郷土の歴史を知るという事は、「郷土愛」だと思います。だから自分の故郷を愛する気持ちが、全てに優先するんだろうと。それがなければ先程私が言ったように、上辺だけの部分にどうしても走りがちなんだと思います。

そういう部分ではいろんな年配の方や、先輩方に聞いたような事をしっかりと私達も受け止めて、それを後世にどう繋ぐか、繋いでいくかというのは、私達に課せられた大きな課題なのではないかと思います。


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