えんがるストーリー構築プロジェクトシンポジウム



■佐々木

囚人道路と鉄道敷設という対照的な二つのお話をしていただきました。囚人道路っては人骨が出てきたとか、幽霊が何か見たことあるとか、おどろおどろしい様な話をよく皆さん聞いているかと思うんですが、やはり囚人と言っても酷使されるのが許されるものではありません。

当時、北海道に送られる人というと懲役10年以上の重犯罪を犯した人だったんですが、そういった方達も本州の家族を思いながら、死ぬ間際に色んな思いで、切ない思いで亡くなっていったのだと考えると、現在を生きる私達が、こういった過去の暗い歴史もきちんと見つめなおし、囚人達の労働を尊びながらこの道路を使わせていただくという事は大きな意味があると思います。こういう事もしっかり伝えていくべき歴史だと思います。

かぼちゃ団体のお話は、一つの物語として充分に成立しそうな楽しいお話だと思います。この道路建設や鉄道施設の整備は地域の発展に不可欠であったんだと思います。遠軽ではやはり物を運ぶという事はそれほど大変だったという事が垣間見える歴史だと思います。伊藤さんはこのお話はご存知でしたか?

■伊藤

今回のお話をいただいて、色々勉強する中で初めて知りました。たくさんの資料をいただいて開拓の事から今回の遠軽の歴史を見ていく中で、自分の頭の中で1番映画の様に場面が想像できたというのは、このかぼちゃ陳情団の話でした。

もしかするとここの部分だけ、色んな辛さとか、この開拓の大変さのある中での苦肉の策がこの陳情団のお話だったと思うんです。非常に印象に残りやすいエピソードをピックアップしていって、遠軽を語る上での物語としていくつか成立させて、これをコンテンツとして遠軽の歴史への入口としていくような企画があっても面白いのかもしれない、もっと色々知ってみたいなと思いました。

■佐々木

伊藤さんからコンテンツ化したらどうかっていう様なお話が出たんですが、このプロジェクトでは、今年度とりあげたような事例のような素材をまず集めて、来年度以降にそれを組み合わせてコンテンツを作るという考えがある様なんです。

コンテンツっていうのは映像や画像や文章で皆さんに知っていただくという様々な方法があるんですが、どのような形でこれが実現されるという事が考えられるか、ぜひ、えんがるストーリー活用法について、パネラーの皆さんのご意見を伺いたいと思います。

安彦先生は今日の話題に挙がったように、遠軽には沢山のこういった歴史の素材がありましたが、これを使って今度漫画にしてみたいなぁとか、創作意欲っていうのはございますか。

■安彦

漫画って気安く言いますけど、時間かかるんですよ。もう僕には多分そんな時間残ってないから困るんで。手持ちの仕事終わったら、いわゆる活動停止かなと思ってるんで、最後に振られたのにはお答えいたしかねるんですけど。

少し話が外れるかもしれませんけど、場違いな発言になるかもしれませんけど。僕、車の免許持ってないんですよ。東京ではそれで暮らせるんです、電車に乗っていけば。北海道で無免許人間は暮らしていけないので。僕はそれで仕事・仕事って言ってるうちに免許取りそびれて未だ車に乗れないんですけども。車に乗れない人間には鉄道っていうのは非常に大事な交通手段で。

この前、昔は湧別もね、その昔廃線になって。湧網線、素晴らしい線だったんだけど、あれもなくなってしまって。釧網線、名寄線、湧網線の佐呂間湖を走ってたんですよ、素晴らしい線。あれもなくなって。頼みの綱は石北線と釧網線なんです。だから昨日、高規格道路を役場の方に連れて行っていただいて。

道路も確かに素晴らしいんですが、どうも北海道の方は全体的に合理的な考えをする方が多くて、これから道路だろうと。石北峠はぼろかったからあれをやるよりは道路の方がいいだろうみたいな話も耳にするんですが、鉄道はまた一つの財産だと。石北線と釧路まで行く釧網線、これは特に釧網線の、オホーツク沿岸っていうのは最後に残った海岸線路なんですね。

さっきの雨宮何号というお話がありましたけど、沢山撮り鉄が来てビックリしたというお話がありましたけど。日本人の、人が気が付いている生きた、その素晴らしい宝物に対して、土地の人が気がついてない。「わぁ、こんなに人が来たのか」と。みなさん斜里までのオホーツク辺りの車窓から見える流氷、特に流氷の時期は素晴らしいですね。

僕も1回乗り合わせた事があるんだけども、釧網線のお客さんたちが感動してるわけですよ。そういう事に対して、意外と気付いていないんではないかなと、だからそういう事で、今は色々一つの文化の境目に来ていると思うんで、貴重なものはぜひ後世に伝えていただきたい。

鉄道というのも一つの貴重な財産だと、僕は思うので。ここで言うのは場違いだったかもしれませんけど。そんな事でした。

■佐々木

やはり、外部の人が気付いてるのに、地元の人だからこそ、その宝物に気付いてないという事は私も思います。

これは外に出た人だから言える感想だと思います。そういった点で皆さんもう一度自分達の町の物を見直して、それを後世に伝えるという事が凄く大事になってくると思います。

■浅利

今鉄道の話が出たんですが、実は今年の2年生は、丸瀬布のバスを町で出してもらって昆虫館に行ったんです。そのバスは丸瀬布の駅で待ってもらい子供達が切符を1枚づつ自分で買って乗り、丸瀬布まで行き、帰りはバスで帰ってくるという事を行いました。

最近の保護者はほとんどが車を持ってますので、出かける時には列車ではなく車で行く事が多いのでそういう形をとってます。私も最近は旭川や札幌へ行くにも車がつらくなってきたもので、JR利用してますからその辺は考えは同じなんですよ。

先程の話に戻りますが、コンテンツ化という事で考えてみた時に、学校の現場で行くと、先日の通学合宿についてですが。基幹集落センターで40人の子供達が泊まって、そこから学校に通うという事を、1週間行いました。

20人の枠に40人に来たので、大変あせったんですが、実施にあたり、とても私達の力だけではできなくて、延べ100人くらいの方がお手伝いを願ったんですが、いろんなボランティアの方達が協力してくれたんです。

例えば白滝じゃがいも生産組合の方がじゃがいもを持って来てくださって、じゃがいも料理の仕方を教えてくださって、レシピ本を見せてもらって、子供の前で調理をしていく。食べる事だけで言えば、板前さんが鮭を豪快に捌いて、イクラのしょうゆ漬けを作ってくださって、それを次の日食べる。捌いた鮭はちゃんちゃん焼きにするとかっていうのを子供と一緒に体験して、普段なかなか家庭で見れないものをそこで見せてもらって、体験したり。

ラグビー協会の方がタグラグビーを指導してくださって、2回目の時には高校生が一緒に、花園に行く高校生が一緒についてくださったり、音楽の演奏会があり、読み聞かせをしてる方がしてくれるとか、パン作りをしてくれるとか、本当に沢山の方から力を借りました。

遠軽にはそういう素材があって、協力していける教育に対する環境があることを考えていくと様々なコンテンツを受け入れれる、あるいは利用出来る形ができてると思うんです。

だからこのコンテンツをきちんと整理をして、どのような時に、どんな場面で、誰が、というところまで再整理していけば、うまくいくのではないかと今回つくづく感じました。

■佐々木

こうやって子供達に地域の良さを伝える大人達がいる。後はその素材作りをしっかりするという事が大事なんですね。

■伊藤

私はどうしてもビジネス的な視点になってしまうんですけども。例えばホームページですとか、直接販売する商品では商売やっていると販売する手段っていうのは沢山あるんですけれども、遠軽のことをお客様にもっともっと知ってもらいたいというのは、常に思っています。例えばコンテンツ化というのを大きな形であれば行政が行なう、そうでなければ教育の現場で。色んな形があると思います。

私は自分達がビジネスをやっている者として、できるコンテンツは何だろうと、よくスタッフと話をするんです。例えばあの商品を売るホームページ、商品があります。そこに原料の情報ももちろん載せるんですが、小さな遠軽エリアマップっていうのを来年から作っていきたいと思っているんです。

来てくださいと待ってるのでは、お金が溜まるとか、年とる前にとか、それではどんどん先に伸びてしまうので、来たい!と思ってもらう、距離を縮める事というのをこういう歴史の話をする事で、ユーザーさんとできないかなと思ってます。例えば学田の所をホームページでプッと押すと、あの薄荷発祥の地、学田農園、あと家庭学校がありますとか。

事前にいろんな皆さんのお家にいながら遠軽の事に興味を持ってもらいたい。

私達の製品を通じて「いつかこの町にきたい」なと思ってもらいたい。町にいる自分達自身がコンテンツを深めていくっていう事ももちろん大事なんですけども、外側にそのコンテンツを発信していって、沢山の人に私達の町の歴史を知ってもらいたいという思いも自分自身とても強いです。

なので、まずは簡単なお話から、例えばかぼちゃ陳情団みたいな。歴史は非常にあの大きなうねりがあって、勉強すればするほど深く複雑になっていくんですけれども。一番取っ掛かりの部分として、小話的な感じで、町のお話や何かを散りばめていって、私達なりに地元の話を伝えられるような取り組みをしたいと考えています。


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