えんがるストーリー構築プロジェクトシンポジウム



『えんがるストーリーをどう活用するか』

… パネルディスカッション …


■パネラー

安彦 良和 氏 漫画家(遠軽町出身)

伊藤 早織 氏 株式会社マイスター 取締役

中村 康男 氏 えんがる観光協会 専務理事・事務局長

浅利 誠 氏 遠軽町立東小学校 校長


■コーディネーター

STVラジオ「ほっかいどう百年物語」構成作家 佐々木信恵氏

■佐々木

本日のパネルディスカッションのコーディネーターを務めさせていただきます、佐々木信恵と申します。

本日はどうぞよろしくお願いいたします。

まず初めに自己紹介からさせていただきます。構成作家とご紹介をいただいたんですが、私のお仕事はテレビやラジオの番組制作に携わり、番組の台本を書くという、文章を書くお仕事をしております。

そこで、ほっかいどう百年物語というSTVのラジオ番組を12年勤めています。この番組は北海道の歴史上の人物を、毎週1人ずつ取り上げ30分番組の中でラジオドラマ形式にして放送しています。

日曜日の夕方5時から入っています。本日も遠友夜学校という新渡戸稲造が作った学校のお話をするので、皆さんもしよろしければぜひ聞いてみてください。

北海道の歴史というのは僅か140年なんですけど、その中で多くの偉人がおります。これまで全道各地の中で600人の偉人を取り上げてきました。私は本日のパネラーの皆さんを含めて唯一の遠軽出身者じゃなく、青森出身なんですが全道の歴史を取り扱った者の視点として、遠軽の魅力などをこの後、お話できたらいいなと思っております。

それでは、パネリストの皆さんを紹介させていただきます。

■安彦

安彦です。先ほどの公演はまとまらない話でしたが、皆さんお聞きいただきありがとうございます。

■浅利

遠軽東小学校の浅利と申します。

私はどちらかというと社会科よりは理科なんですが、今回大変勉強させていただきましたし、教育の現場に関わる立場からお話しをさせていただきたいと思います、どうぞよろしくお願いいたします。

■伊藤

株式会社マイスターの伊藤早織と申します。

私は遠軽生まれの遠軽育ちで、現在は遠軽で取れる食べ物を原料にした化粧品を作って販売する会社を自分で立ち上げて活動しています。

本日は郷土史という非常に難しいテーマなのでプレッシャーですが、仕事の中で遠軽をお客様に伝える機会というのが非常に沢山あり、この町でどんな人たちが頑張ってきたものがこの製品の中に入っているんだろう、そういう事を伝える必要性というのをいつも仕事で感じているので、このシンポジウムや安彦先生のお話などで新しいヒントを得て、この町の歴史を知る事で次のお客様に町の事を伝えていけるきっかけを探していけたらと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします。

■中村

えんがる町観光協会の中村と申します。

今回の「えんがるストーリー構築プロジェクト」の事業担当者という事で、こちらに座らせていただいております。

日頃遠軽の観光につきまして、皆様に大変ご理解とご協力をいただいており、併せてお礼申し上げるとともに、本日もよろしくお願いいたします。

■佐々木

それではパネルディスカッションに入ります。

最初に今回のテーマである「えんがるストーリー構築プロジェクト」というものはいったいどういうものなのか、また取り組んでみてどうだったかというのを、中村専務からお願いします。

■中村

観光も含めまして個性のあるまちづくりをするにはどうしたらいいか考えた時に「先人達のドラマを地域資源として掘り起こし、磨き上げるという事が大事だろう」というのが今回の事業の発端であると思います。

そしてそれらを物語としてコンテンツ化する事によって、教育に活用できる事はもちろん、将来的に歴史の物語を辿る観光への活用などにも結びついてくれればと思っています。

例えば昨日から2日間、雪中運行をしている雨宮21号。これは地域の歴史の象徴を上手く観光に生かした例ではないかと思います。私も行ってまいりましたが、全国から撮り鉄ファンと呼ばれるような方達が場所の奪い合いをしながら撮影をしていました。

これはまさしく観光だと、それは一つの立派な歴史であると思いました。雨宮21号は、ただ蒸気機関車が走っているというだけでなく、木材のまちの歴史というストーリーをまとっているからこそ価値があるんだと、強く思いました。

観光協会では平成24年5月から町の緊急雇用創出対策事業の委託を受け、調査員2名を新たに採用し、町史をはじめとする資料から興味深いエピソードの抽出を行いました。

昔の事をよく知っている先輩の方達へのインタビューを行ったり、映像化などをしながら、郷土のコンテンツの素材集め、資料を残す、データ化して残す様にし、今日のシンポジウムもその事業の一環として行われているものでございます。ただ、資料は豊富にあるわけではないです。

当時の人はどの様に考えて行動していたのかという記録が残っているほかには、周りの状況や前後の資料など、こうだったんだろうというような想定の、推測の中で今回の事業を進めるしかなく、非常に厳しいものがありました。資料に立証されていることだけに頼ると、ストーリー性が乏しくなるという事でなかなか伝わらない事があるだろうと思います。

したがってストーリーをどういう媒体を使ってどう演出していくか、非常に苦労してますけれども、専門家の演出が必要かな、ということも、今回の事業を通じて感じています。


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