七号駅てい跡
囚人が作ったオホーツク開拓の大動脈-中央道路-
明治24年、オホーツク地方の守りと開発のため旭川〜網走間の中央道路が作られました。
この頃は、明治維新以降の国内の混乱により、各地の監獄がパンク寸前になっていました。
そこで、この中央道路の開削へは急増していた囚人たちが送り込まれる事になりました。
しかし、急ピッチで進められた超突貫工事は、足を鎖で繋がれた状態で酷使され、不衛生な仮小屋暮らしを強いられた囚人たちに多くの死者を出す惨状を招きました。
そのような状況で完成していったこの道路は別名囚人道路とも呼ばれます。
この中央道路開削に併せて沿線には一号〜十二号官設駅逓が建設されました。
駅逓とは、入植者や旅行者のための旅館と運送店を兼ねた施設ですが、この七号駅逓は無人休憩所として利用されていました。北見地方の開拓にとって、駅逓の果たした役割は大きく、その貢献を讃え記念碑が建立されています。
また、遠軽町内にはこの七号駅逓のほかにも六号野上駅逓、八号滝ノ上駅逓の跡が残されています。