大正末
開山当時、この峠は体を隠すほどの大きな熊笹が生い茂る道なき道でした。また、そんな道をさらに熊よけの笛を吹きながら、ふとこ...
大正6年
丸瀬布地区には今も「砂金沢」の名称が残っているように、その昔、この地区は面白いほど砂金が採取できた土地で、これは今から7...
1900年05月
【インカルシの戦いの伝説-湧別アイヌと十勝アイヌの戦い-】チトカニウシ(白滝の山)の山脈を境に北見国は、湧別アイヌの狩猟...
明治45年
北海道の多くの土地は農場の開拓から始まっています。農場主が入った時をまちの開基としている例も珍しくなく、丸瀬布も開拓を行...
明治29年
1896年(明治29年)8月21日、北海道庁技師の田辺朔郎が、鉄道敷設調査のため、旭川から天幕のルベシベ河畔に至った時の...
明治中期以降
湧別原野でのハッカ栽培の始まり
山形県が主な生産地であったハッカは、明治中期以降、移住者によって北海道での栽培が本格化...