人の命を守り、文化を育てること~秋葉實が遺したもの
旭川アイヌとの交流~ユウベツアイヌの文化を受け継ぐ
昭和39年(1964)、一昨年の開拓古老座談会をきっかけに、アイヌの人たちは開拓の恩人だったことを知った實は、かつて丸瀬布に住んでいたアイヌを訪ねて旭川へと向かいました。
旭川市博物館職員の協力で、川村熊吉さんの親類にある荒井源次郎さん、清水キクエさんと出会うことができました。この時、荒井さん一族の遠い祖先はユウベツの人で、ムリイカムイコタン(丸瀬布上武利の神居滝付近)が本拠地であったことを聞きます。
そして、年代も事由も不明ながら、コタン(集落)ぐるみで宗谷を回り、石狩川をさかのぼってキムクシベツ(当麻町)を第二の故郷としていたが、明治中頃にもともと住んでいた上川アイヌの人たちとともに近文に集結させられた、とその経緯をうかがい知ったのでした。荒井さんたちはその後も故地ユウベツへ、ルベシベ(北見峠)やピンネシリ(武利岳)、マツネシリ(武華岳)の鞍部を越えて自由に往来していたことも話してくれました。
この訪問をきっかけとして、昭和40年(1965)7月、荒井源次郎さん夫妻と義母シャヌレさんが50年ぶりに丸瀬布を訪れました。その後もムリイコタンに縁のある旭川のアイヌの人たちと共に丸瀬布を訪れ、毎年7月28日には山彦の滝でカムイノミ(神様へのお祈りの儀式)が行われたのでした。
昭和42年(1967)、「わたくし旭川のまみやベラモンゴと申します。」と、突然見知らぬ女性からの電話を受けた實は、その女性が、幼少期に両親が猛吹雪の夜に自宅に招き入れた太田トリワ夫妻の養女だったことを聞いたのでした。養い親が世話になったお礼にと、丸瀬布を訪れたベラモンゴさんとその後も交流を続けた實は、先祖から口承したというユウカラ(叙事詩)二編とウエペケレ(昔話し)四編、イオマンテ・カムイノミ(熊送りの祝詞)三編を受け取りました。その出来事に夢かとばかりに驚き、喜びました。
その後も荒井シャヌレさんをはじめ、昔ユウベツで暮らしたことのある人たちと交流を続け、ユウベツウポポ(里謡)やリムセ(踊り)も伝承されました。ユウベツを故地とする旭川のアイヌの人たちから「ユウベツ(アイヌ)文化の宝」を与えられた、と感じた實は、その文化を守り、伝えていくことを誓ったのでした。