人の命を守り、文化を育てること~秋葉實が遺したもの


武四郎研究へ~『丸瀬布町史』に託した想い

 昭和38年(1963)、丸瀬布郷土史研究会を立ち上げ、雨宮21号の動態保存を成し遂げた頃、北海道大学の高倉新一郎が松浦武四郎の『竹四郎廻浦日記』の解読本を刊行しました。この『竹四郎廻浦日記』を数年かけて熟読した實は、出身地の「ムリイ」の記載がそこにあることを知ります。昭和41年(1966)、高倉新一郎が古文書解読講座を開催すると聞きつけた實はこの講座に通い始め、札幌と地方で開催された全55講中、50講に参加したのでした。

 

 「武四郎は、アイノの人たち一人ひとりの生活様態を取り上げ、その非人道的な扱いを一日も早く改めるよう、日誌を通じて切々と訴えている」(秋葉實2003『上川紀行』より)そう感じた實は、携わっていた町史の編さん作業に並々ならぬ想いを込めていきます。明治以前に住んでいたユウベツアイヌの人たちはどうなっていったのか。安政3年(1856)の『竹四郎廻浦日記』だけでなく、文久2年(1862)の『紋別地土人々別取調帳』や明治元年(1868)の『紋別地御場所土人家数人別書上』など関連史料を丹念に調べ上げ、昭和49年(1974)『丸瀬布町史』を刊行しました。武四郎が紀行文や地図にアイヌの人たちの実状を記したように、實は町史にユウベツアイヌ略譜を記しました。

 

 また、アイヌ語地名研究に取り組んでいた伊藤せいちから、東京の国立史料館にある松浦家寄託本のうち『戊午日誌』中の『由宇辺都誌』と『志与古都誌』を解読して欲しいという依頼が舞い込んできました。昭和51年(1976)、北海道出版企画センターの野澤緯三男とともに国立史料館を訪ね、『戊午日誌』のほか、『手控』を発見しました。史料のコピーも高価で簡単にできない時代、白黒フィルムで3,000枚以上もの写真を撮影し、現像した写真をルーペで拡大しながら解読を行いました。

 

 『丁巳日誌』や『戊午日誌』の解読本の編集作業を行いながら、昭和55年(1980)頃より手控や書簡解読にも取り掛かり、約20年の歳月をかけて『松浦武四郎選集』を出版。また、書簡の解読文を『松浦武四郎研究会会誌』に寄稿し続けました。 出身地である丸瀬布の郷土史編さんに端を発したユウベツの歴史を追及する旅は、膨大な数の関連史料から丹念に調べ上げる姿勢につながり、松浦武四郎研究の第一人者と呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【参考文献】

秋葉實1992『百年記念碑建設誌』野上駅逓百年記念碑建設期成会

秋葉實2003『上川紀行』旭川叢書第28巻,旭川市中央図書館

舘浦海豹2009「地方史研究家秋葉實 アイノを語る」『北海道いい旅研究室』第11号,p96~104

舘浦海豹2010「地方史研究家秋葉實 アイノを語る2」『北海道いい旅研究室』第12号,p148~156

舘浦海豹2011「地方史研究家秋葉實 アイノを語る3」『北海道いい旅研究室』第13号,p88~96

舘浦海豹2013「地方史研究家秋葉實 アイノを語る4」『北海道いい旅研究室』第14号,p81~91

松浦武四郎研究会編2016『松浦武四郎研究会会誌第72号 秋葉實氏追悼号』松浦武四郎研究会

丸瀬布町1974『丸瀬布町史』丸瀬布町

丸瀬布町1994『新丸瀬布町史』丸瀬布町

 

【協力】
丸瀬布郷土史研究会
秋葉一実

 

「イラストは、遠軽町出身の漫画家・安彦良和氏によるものです。」


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