遠軽ストーリー構築プロジェクトシンポジウム 基調講演


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とにかく腕が立ちますから側にいてくれると出口さんも安心だと。その出口さんが満州に渡って、これは政治的に利用されるんですけれども、ひと騒動起こすわけです。マスコミも騒いだらしいですけど、チンギス・ハンの我は再来であると旗かけて、満州の馬賊を引き連れてモンゴルの方に遠征をする、遠征というんですかね。その時に側にいてくれっていうので、ついこの間まで上湧別にいた盛平さんがついて行った。これが満州の大親分の張作霖の逆鱗に触れるんですね。

その辺りの話を「虹色のトロツキー」で間接的に僕が書いたんです。その時に、植芝盛平さんという方を調べて遠軽の某旅館っていうのが出てきたもんだから「えー!?」ってなるんですけど。

 

その場所が満州の内モンゴルに入った所、通遼っていうところで、当時パインタラと言っていた。パインタラという所で、出口王仁三郎が遭難するというか、張作霖に叩き潰されるんですけど、その時に“けしからん日本人がいる”って事で、全部銃殺刑ですね。並べられてあわやという時に、たまたま助かって。

その時、植芝さんが大突撃を演じられた、有名なエピソードですけど、鉄砲の弾が飛んでくるのが見える。白いモノがくるんで避ける、というそういう有名なエピソードがあって、「本当ですか?」って「見えるんだ」と。銃殺刑の時も撃たれたら避ければ良かったんですけど、そっちの方は止めてくれた人がいたらしいので死ななくて済んだんですけど、植芝さんも出口王仁三郎も死なないで済んだ。

 

植芝さんっていうと一番のエピソードが鉄砲玉を避けた。そのくらい変わった人なんですけど、ある意味、志の成せるものですね。その王仁三郎さんがはめられた意図が、長い年月でみると満州国につながる満蒙独立運動という非常に問題ありありのモニュメントがあって、それの第一幕か第二幕にあたるんですけど、そういったモニュメントが良いか悪いか、あるいはそこに加担してしまった出口王仁三郎や盛平さんがどうなるかということは、僕として明らかに言えることは、非常にこれは世界レベルの大状況だったんですが、そこに志を抱いたが故に巻き込まれる。

それは白滝開拓でもあり満蒙独立でもある。そういった形で見ると、我々の先人たちが生きたスケールというんですか、あるいは志の高さというのが非常によく見えてくる。

非常に我々に訴えかけるものを持って迫ってくるという気がするんです。だから、大きな状況の中で先人たちが如何に生きたか。 如何に名を成しあるいは名を成すことにしくじり、業績を残しあるいは挫折しそうやって生きていったか。そして、我々の今日があるというのが非常に大きな意味を帯びてくるのではないか。

 

だから、あくまでもローカルな話題をローカルで終わらせないで、ぜひしっかりと見据えていただきたい。そうすることによって我々が今、僕も含めてそうなんですが、若い人達にいろんなものを引き継いでいく上で、非常に大事なんじゃないかと。そういう意味で意味深いものになるんではないかなというふうに僕は思ったわけです。

 

この後のパネルディスカッションに僕も非常に楽しみなものを感じておりますので、この辺で私は切り上げさせていただきます。ありがとうございました。


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