遠軽ストーリー構築プロジェクトシンポジウム 基調講演
血を血で洗う大干渉なんてのがあって、一番物騒だったのは土佐のここ大学時代の友達が住んでいるところなんですが、高岡郡佐川っていうところで相当な騒動があったりして何人か人が死んだ。そんなところですから、いろんな事件も起こって不思議じゃない。その中でも土佐の郷士と名乗る人たちは、志は高いし気は荒いし血の気が多くて、野望もでかい。岩崎弥太郎とかもそうですけど末は幸徳秋水にいたるまで、いろんな人を輩出するんですね。
その中で徳弘さんもそれなりに知られた徳弘家の何番目でしたかね。徳弘さんのお父さんは2度結婚してるんですけど、最初の奥さんが亡くなられて、2度目に若い奥さんを迎えられて、その若い奥さんの長男が徳弘さんで、この徳弘家というのもなかなかの家で、それはこの本(伝蔵と森蔵)にも出てるんですけど、最初の亡くなった奥さんのご長男がですね、島村速雄さんていう方。海軍元帥になられた方ですね。これは「坂の上の雲」の世界なんですけど、連合艦隊の東郷長官の時代に、参謀長をやっていた。ただバルチック艦隊と派手にやっていた時の参謀長は加藤友三郎という方で変わっているんですね。ですからテレビドラマでやったあの時代までの参謀長が島村速雄さん。この島村速雄さんていうのが徳弘正輝さんの腹違いの甥っこなんですね。従兄弟かなと僕は思ったんですけどね。同年代なんですね。当時海軍少将。その頃、徳弘正輝はやっと形になった徳弘農場で中湧別耕してたんですね。腹違い、要するに2度結婚してますからお父さんが、その差がありますから同じ年頃なんだけど叔父、甥の関係なんですね。甥っ子なんです。
これはエピソードですけど、徳弘さんていう方はアイヌを非常に可愛がった。可愛がるというこの言い方自体問題なのかもしれませんけど、たいへん優しい。自分でも鮭の皮のヤッケっていうんですかね、それを着て、靴履いて東京へ行くらしんですよ。東京に行ったら、そこにいればの話ですけど、佐世保の長官をやってる。そこに行くと「おお、島村」って会いに行く。「徳弘さん東京行くの?」東京へ行ったら島村元帥、まだ元帥じゃない。死ぬ直前に元帥になってます。だからご自分が海軍元帥ってわかって死んだかわからないんですけど、元帥ってそれくらい大変なものなんですね。
なかなか生きてるうちに元帥になれない。東郷さん元帥になりましたけども。で、「島村大将のところ行くんだったら書を貰ってきてくれ」って頼まれるらしい。で、「おお、島村。書をくれ」そうすると島村さんが「東郷さんのも貰ってやろうか?」「ああそれはぜひ願いたい」東郷さんの書も貰って、「おい、東郷さんのも貰ってきたぞ」って。そしたら地元の人が「よかった、よかった」って。東郷さんていう人も、割と頼まれると断らなかった。東郷さんて鑑定かなにかで見たことあるんですが、東郷元帥の書は結構あるそうですね。断れない、断るのが下手だと。そういうエピソードですけれども。
この間、島村速雄さんの伝記を読んでいたらそんなシーンが出てきました。徳弘さんではなかったんですけども、島村さんという人はそういう親戚や郷土の人を大事にすることもそうだけれど、非常に部下の面倒見も良くて冠婚葬祭も欠かさず出る。軍人としても立派で軍人さんの集まりなんかにいきなり田舎の人がくる。「ごちそうになった。またくるぜよ」とか言って帰る。そういう情景があった。「またくるぜよ」とは言ったかどうだか知りませんけど、そんな感じで、鮭の皮を着て靴履いて会いに行ったんじゃないだろうか。情景が目に見えるなと思うんですけど。
元帥になったからあるいは海軍大将になって成功を挙げたから偉いというつもりはありません。ただ、この島村速雄さんという方は本で読んだりしても、ただ面倒見がいいだけではなく、確かに偉い方なんですね。さっき私が言った加藤友三郎さんという方が海兵の7期の同期なんですね。世間では加藤友三郎さんの方が有名なんです。 この方も死ぬ間際に元帥になって、元帥加藤っていうので名前を遺してるんですが、その前に総理大臣もやって、海軍大臣もやって、有名なんです。海軍の中にもいろいろありますけれど、加藤友三郎さんが海軍大臣の時の一番の功績がワシントン軍縮条約というのがあって、そこで10対10対7でしたかね、主力艦の比率を決める。大変な反対が国内外あったらしいですけど、特に海軍から「とんでもない、それではアメリカ、イギリスと戦えないのではないか」と、そしたら加藤さんが「戦わない方がいいのだ」と言ってなだめて、10:10:7のこの比率は間違ってるかもしれませんけど、それでまとめた。
それが一番の功績。海軍の勝海舟以来の長い歴史の中でも、5本の指に入るくらいの偉い人だと定評です。加藤友三郎さん。この方と非常に仲が良くて島村速雄さんも大変識見に富んだ軍人さんだった。海兵7期を卒業する時に島村速雄って徳弘さんの甥っこさんですけど、同年代の甥っこさんですけど、この方が海兵7期の首席だったんですよ。1等賞ですね。2番目が加藤友三郎さん。どのぐらい出来た人か分かりませんけど。徳弘正輝さんの息子さんで、お母さんが鹿さんていう、昔の人の名前だなと思うんですけどそういう方。