遠軽ストーリー構築プロジェクトシンポジウム 基調講演
僕は徳弘神社と呼んでいるんですがね、まさに徳弘さんの農場の跡地です。徳弘正輝の物語ということで、さっき言ったように人に言えぬような事情があって、秩父事件の残党というほど深刻な事情じゃないにしても、とにかく土佐にいられなくなったというような事情があって、当時の日本はまさにそういう時期だったから、じゃあ北海道に行こうということでこられた。そういうふうに思います。
最初に言うべきだったんですけど、最初この話っていうのはどういう事でやるかという事なんですけど、郷土にいろんな先人の偉業があって、あるいは郷土のエピソードがいろいろあって、それはなによりも地元の方がよくご存知でそれぞれに興味深い話もある。
ただ僕が言いたいと思ったのは、今日のえんがるストーリーというイベントについて、これは話を持ってきてくれた役場の中原さんにも言ったんですけど、「先生どういう切り口でしゃべりますか?」って言うから「そうだね、単に遠軽あるいは北見地方、湧別川流域というローカルな話のローカルなエピソードという事で語っている間は、その価値というのはイマイチ分からないんではないだろうか。
そうではなくて、大きな状況の中でいろいろな影響を受けたり、あるいは事情を背負い込んで大きな時代の流れ、うねりの中で、例えばここに入植するあるいはここへ流れてくる。あるいはここで事業を興したりここから巣立っていく。そういう大きな歴史の流れの中で考えると、それぞれのエピソードが非常に意味深く見えてくるんじゃないか。自分が語るんだったらそういう視点というのが面白いんじゃないですか」ということで喋ろうかなと。
「ああ、それでいってください」というふうに言われて、これ最初に言うべき話しだったなと。
ですから徳弘さんという人格者が明治15年に思い立って入植してこられるというだけではなくて。徳弘さんという方はどういう歴史を背負い込んで、土佐の高知から土佐の郷士という素性でここへ来たのか。
一つには、なにか穏やかならぬ事件があった。なによりも土佐ということで坂本直寛さんなんかが北見訓子府に入植してこれはかなり有名な話ですけども、直寛さんていう方は竜馬の甥ですよね。直系の甥で坂本家の何代目とかいう方でその方が北見に入った。学校で習う依田勉三の晩成社でしたかね。依田さんは伊豆でしたかね?それぞれ志を抱いて入ってこられた。この後パネルディスカッションで学田農場に入ってきた人達の、主にキリスト社の志というのを語られると思いますが、高い志を抱いて入ってくる。
そういう志はどこから生まれるかっていうと、明治の激動の中で支流、合流、その他必死に生き方を探っている人達が自分の生きるステージを求めて入ってこられる。だから、どういった立場であれ、単に流れてきてみたらこうだったっていうことではない。それぞれにドラマがある。さっき途中まで話しました植芝盛平さんにもやはりドラマがあるわけですね。すでに武芸者としてかなり本物になっていった紀州田辺の植芝さんが、なぜ開拓団長として白滝にくるか。それもやはり植芝さんの志があった。植芝さんの志はまたその後奇妙なことになって「虹色のトロツキー」という僕の作品でご登場願うんですけども。
徳弘さんに話を戻しますけど、さっき土佐の立志社と言いました。立志社の建白というのが歴史の軸で出てきて、僕らは立志社というと片岡健吉の「立志社建白」というので分かっているんですけど。立志社というのは芸能人の集まりかっていったら実はそうじゃなくて立志社建白をやった頃の立志社っていうのは大分穏やかになってからの立志舎で。その前は板垣退助さんがいるくらいですから血の気が多い。だいたい土佐っていうのは人材も多く輩出したけど、ほとんど血の気の多い、品川弥次郎の大干渉っていうのが2回目でしたかね。