遠軽ストーリー構築プロジェクトシンポジウム 基調講演


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『湧別原野開拓の父・徳弘正輝の物語』

講師:漫画家(遠軽町出身)安彦 良和 氏


安彦良和 先生

安彦良和 先生

あまりこういう所で話をするのは慣れておりませんから、退屈な話になると思います。個人的には、この後にパネルディスカッションが予定されていますので、そちらのほうの聞き手に大変興味を覚えております。

控え室で先ほど打ち合わせをしたんですが、貴重なお話しが聴けそうなのでたぶん僕が聞き役になると思いますが、そちらのほうに皆さん期待していただきたい。そして、1時間近くの時間をいただいて良いのかな?という気もあるんですけれども、次へうまくバトンタッチが出来るように、与えられた仕事をまず先にこなしたいと思います。よろしくお願いします。

 

こうやって会場を見るとなるべく目を合わせたくないような方がいろいろいらっしゃいますね。あまりこういう所で話しをしたことがないと先ほど申し上げたんですけれども、その乏しい経験の中でもおそらく一番話しにくい場だなというふうに思っております。なるべくみなさんの顔を見ないように、目をそらしながら1時間努めようと思います。

 

今、紹介いただきました徳弘正輝さんという方についてがメインになると思うのですが、合気道の創設者で大正時代に白滝に入植した植芝盛平さんのことなど、僕が仕事でたまたま知ることになった郷土の先人達の話を、今更という感じかもしれませんが、少しお話ししたいと思います。ご存知の方は正直今更だと思いますがお付き合いください。

 

非常に僭越ですけれども、徳弘正輝という方についてご存知の方は手を挙げていただけますか?植芝さんについてはいかがでしょうか?

やはり植芝さんの方が多いですね。徳弘さんは、比較的年配の方、僕と同世代あるいはそれ以上の方が多いようにお見受けしますけれども、思っていたよりも知らない方が多いなという感じがして、ちょっと安心いたしました。僕も知らなかったんです。76年くらいまで知りませんでした。その頃に、今日これから最初に名前が出るかと思いますが、小池喜孝さんという郷土史を勉強なさっている方がいて、今日はここに伝蔵と森蔵という本を1冊持ってきましたけど、これは76年に出た本で、僕は徳弘正輝という人の名前をこれで始めて知ったんです。

この小池喜孝さんという方は明治時代の自由民権運動についての研究を主になさっている方で、特にその中でも囚人道路について郷土史の掘り起しということを70年代の前半に随分精力的にやられております。

 

僕は埼玉県所沢という所に住んでいるのですが、西武鉄道が走っていまして、終点が西武秩父という所なんです。その秩父で秩父事件というのが明治17年に起こります。こちらは皆さんご存知の方が非常に多いと思いますけれども、何人かの幹部が逮捕を免れて逃るんです。その中で、一番よく知られている方で井上伝蔵という方がおられまして、この人は一生逃げ回ったんです。逃げ回るというか身を隠して偽名を使って最後は北見でお亡くなりになりました。本名を名乗れないから、伊藤房次郎という名前でお亡くなりになりましたが、大正時代の新聞に結構大きく出て有名になったそうです。秩父事件の会計長という役割をしている。旦那さんなんですね。旦那さんですから会計にあたるっていうんで会計長。知識人でもおられる。会計に限らず副総長みたいなそんな肩書きだったと思います。この方が逮捕を免れて北海道に来て、さっき言ったように北見でお亡くなりになりました。

 

同じように幹部で飯塚森蔵という方がおられる。この秩父事件は最大で一万人くらいが騒動を起こしたんですけど、その行動部隊を二つに分けた。甲大隊、乙大体。

甲大隊というのは新井さんという方が率いて、新井さんという方は死刑になっているんですね。大変行動的な勇ましい方で、乙大隊を率いたのが飯塚森蔵さんという方で、この人も逃げたんです。

その逃げた方の足取りを追う、という本を小池さんという方が書かれて、大体3冊のシリーズを書かれている。今持ってきたのが、伝蔵と森蔵というタイトルです。井上伝蔵さんはそういうことで最後まで追跡できて、お亡くなりになるのをちゃんと調べがついた。森蔵については分からない。そこで、小池という人が全国を探します。こういうことだった、という事をこの本に書かれているんですけど、実は内容はあまりその点に関しては無いんですね。この1冊の本のあたまの方でもう語りつくしてしまった。


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