学田農場集会場兼青年会館が共同耕作の薄荷油代と一般からの募金を募り建設された。以後、12月から4月まで毎年冬期学校が開かれた。
この青年会は野口芳太郎などが中心となって結成され、のちに教会の母体となる。
明治38年頃北見青年会員(学田農場内の青少年の会)