人の命を守り、文化を育てること~秋葉實が遺したもの
秋葉實の原点~太田トリワ夫妻との出会い
松浦武四郎研究の第一人者として知られ、丸瀬布の郷土史の保存運動に奔走した秋葉實の原点は、幼少期のアイヌの夫妻との出会いにあったといいます。 昭和9年(1934)、北見国遠軽村字ムリイ(現・遠軽町丸瀬布武利)の秋葉長治宅。十人家族の三男坊だった實少年は、当時、武利小学校1年生でした。この年、1月20日から降り出した雪が、24日には7尺(約212 cm)にも達し、20年ぶりの大雪となりました。300人余りいた北海道庁直営の造材事業の作業員は次々と下山しましたが、食料の物資運搬を請け負っていた長治宅には、4人程が身を寄せていました。
夕方6時頃、吹きすさぶ吹雪の音の合間に、「ヒューッヒューッ」と甲高い音が外から聞こえてきました。人の声にように聞こえたものの、窓の外は雪で埋もれて見えません。玄関の戸を何かが打つ音が聞こえ、母の言いつけで恐る恐る玄関を開けた實少年の前に、黒い塊が転がり込んできました。 「お助けください」「お助けください」という声ともに、玄関口に手をついて「物置か厠(トイレ)の片隅でもよいですから、どうか一晩泊めてください」とのこと。両親がひとまず部屋に上げて話を聞いたところ、夫婦で旭川から冬山に働きに来ていて、この雪で下山したものの途中から歩行困難に。灯を求めて2、3件の農家に宿泊を頼んだが、アイヌと知るや中へ入れてくれなかったと言います。夕食のあと、作業員の人たちと共に座敷へ寝床を設けたものの、夫婦は拒み続け、止む無く板敷の茶の間に布団を敷き、そこへ寝てもらいました。それが太田トリワ夫妻との出会いでした。
翌朝になると、トリワさんがオンコ(イチイ)の木で、鎖の飾りがついた一尺(約30 cm)もある菜箸を作り上げ、お礼にと手渡してくれました。實少年は糊もないのにどうやって木の鎖ができたのか不思議でたまらず、マキリ(小刀)一丁で木の棒から美しい細工を施すトリワさんの手元を2、3時間も見続けました。
住民総出の除雪が終わり、トリワ夫妻がようやく帰路につけるようになった29日頃には、文様を彫った鎖付き菜箸十膳ほどのほか、同じく鎖をあしらい美しい彫刻が施された衣紋掛け5飾ほどが拵えられ、儀式のように祖父と父の前へ進呈してくれたのでした。この時の出会いが、ムリイに故地(ふるさと)を持つアイヌの人たちとの交流の原点となったのでした。