1885年7月の出来事
年代:1885年7月
総理大臣伊藤博文が秘書官金子堅太郎を北海道に派遣し、全道の拓殖状況を調査
北海道庁設置に先駆けた明治18年7月、時の総理大臣伊藤博文は秘書官金子堅太郎を北海道に派遣して全道の拓殖状況を調査させました。
金子が三ヶ月に渡って調査した結果、北海道の拓殖行政の弊害と遅れを指摘し、三県一局制度を廃止して殖民局を配置し行政を一本化することを復命しました。このことが政府に認められ、明治19年に北海道庁の新設と同時に殖民局が設置されました。
このような経過をたどりながら北海道はようやく近代的な行政改革のもとでの船出となり、初代の北海道長官として岩村通俊が就任しました。岩村は開拓判官として北海道の事情に精通しており、明治19年、北海道庁の設置と共に植民地区画法を公布し、全道の未開地大原の植民地選定事業が開始されました。北海道庁によるその事業は同年8月下旬から明治22年にいたる4年間かけて3万円の経費を投じ全道の主な原野の調査を終了しました。その結果農場や牧畜に適する土地およそ28億6660万坪を選定し、これらの結果が明治24年「北海道殖民地選定報文」として公刊されました。