1909年12月の出来事


年代:1909年12月

北見青年会の遠足(湧別までの途中中湧別で)写真

北見青年会(遠軽町百年史より抜粋)

明治30年以降、新潟・山形の両県を中心とした集団移民が学田の地に入植した。原始林に覆われた未開地に入植した人たちの日常は何一つ心を慰めてくれるものはなかった。一攫千金の夢を抱いて入植した者はそれなりの決心をしてきたとはいいながら、開墾の現実はあまりにも厳しいものがあった。
 明治32年10月、学田農場事務主任の野口芳太郎や教育係の秋葉定蔵が中心となり、このような環境にある青年たちに、学田農場開拓の理想を認識させながら将来の夢を語り合う機会を作った。一方、毎週土曜日の夜は一般の人たちも加わり、討論会・講演会及び農事の研究を行い、積極的に知識開発や精神修養に貢献し、本町青年組織への指導的役割を果たした。その他青年たちには初等からの読み書き・ソロバン等も教えた。その結果、文字の読み書きが出来なかった者もやがて新聞を読み、手紙を書くようになった。
 会館は明治33年9月、現在の旭屋商店裏付近(大通南2丁目)に共同出役により(掘建荒土を塗った平屋26㎡)建てた。明治37年12月、次の会館平屋3間に6間(59.4㎡)をたて、青年たちの知識開発と精神修養など、本町青年団への指導的役割を果たした。


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