1909年6月の出来事
年代:1909年6月
社名渕川沿道路 施工開始
この道路は明治42年6月に起工し、その年の8月に完成しました。
工費は8,200円余りを要し、敷地幅およそ11m、造成幅およぼ4mの道路です。
社名渕原野は明治37年2月、殖民地として解放された地域であり、道路は開盛の湧別原野29号線から社名渕原野西1線32号までの約12kmの道路でした。
大正6年、社名渕川沿道路は、遠軽〜鴻之舞線として鴻之舞鉱山開発にかかわり、その設備資材搬入のため中川次八、箱崎清八、斉藤七太郎が共同請負で遠軽から白竜を通り鴻之舞まで開削した道路で、白竜〜鴻之舞線道路ともいわれましたが、遠軽〜鴻之舞線、遠軽〜滝上線、そして道道遠軽〜雄武線と名称が変更になっています。