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〜郷土史の面白さ〜
遠軽町の開拓の歴史は、明治24年の北海道中央道路と湧別原野基線道路(それぞれ今の国道333号と国道242号)の開通により幕を開けました。北海道の内陸部の開発と同時に対ロシア防衛上の意味を持ったこの2つの道路開削には、大勢の囚人が過酷な工事に使役され、栄養状態も不十分であり、多くの犠牲者を出しました。
明治30年には、遠軽の地を開拓し、30年かけてキリスト教主義の大学を設立するという遠大な夢を掲げた北海道同志教育会の移民団がやってきました。彼らの理想は厳しい湧別原野の自然の前に挫折してしまいましたが、ハッカ栽培の成功や造材業の興隆などにより、遠軽市街地域の発展の礎となりました。
その後、明治45年に植芝盛平が率いる紀州(和歌山)団体が雪深い白滝地域に入植を始めるなど、各地域の開発が先人たちの想像を絶する苦労の末に進められました。植芝盛平は、この白滝開拓時代に大東流合気柔術の達人・武田惣角に出会って教えを得、これが後に合気道を創設することにつながります。
大正時代に入り、鉄道が遠軽に敷設されました。大正4年に遠軽駅が開設。昭和7年には石北線が全線開通し、後に交通の要衝として発展する基礎となりました。この鉄道の敷設時にもカボチャ団体による熱烈な陳情活動や分岐駅を巡る激しい争奪合戦など多くの先人たちの苦労の跡が残っています。
このような郷土史は、さわりの部分を学校で習うことになっていますが、それ以上詳しく知る機会というのはあまりないと思います。しかし、少し関心を持ってみると非常に面白い、興味深いエピソードがたくさん埋め込まれていることに気付くはずです。