1907年07月27日 の出来事


年代: 1907年07月27日

湧別原野乙号線道路 起工

遠軽市街の基線道路(大通)から西町本通(野上通)・向野上(清川)を経て湧別川を渡船で野上に渡り中央道路に連絡したこの道路は明治40年7月27日に起工し同年10月28日に完成した殖民道路(国費支弁)でした。殖民道路は延長10町(約5㎞)、敷地幅6間(約11m)、造成幅2間(約4m)、工事費2600余円を要し、この道路が完成してからは、向野上・カクレ沢の開拓住民の要路となり、また遠軽市街地と瀬戸瀬方面の往来には、基線道路より近道になるので、きわめて重要な路線でした。
 この頃の道路は、遠軽郵便局が開通したときに作られた基線道路から郵便局に通じる道と遠軽小学校へ行く道のみであり、それ以外は道があっても地域住民がつけた刈りわけ道か、歩くことにより自然に出来た小道のみであった。


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