1959年06月24日 の出来事


年代: 1959年06月24日

歓和地蔵尊が建立される

 

歓和地蔵尊建立の由来(昭和34年6月24日建立) 

「旭川鉄道80年の歩み」より抜粋

 湧別線工事中、最大の難工事とされていた常紋隧道(507m)の工事は、大正元年に始まり、3年の年月をかけて大正3年10月に完成した。
工事は、本州方面からの募集に応じてきた労務者を飯場に収容し、通称タコと呼ばれた者によって行われた。労務者は、人権を無視された過酷な取扱を受け、粗食と重労働で病気にかかるものも多く、医薬も与えられず体罰を加える。そして、使役不能と見られた者は、一定の箇所に監禁し、死者は、そのまま次々と大きな穴の中へ投入してしまうという残虐非道なことが公然と行われているという。この隧道工事中、百数十人の若者が犠牲となり、隧道付近に埋められていた。常紋信号場が開駅してから誰言うとなく、「火の玉が出る」「信号が消える」などのうわさも出たり、常紋に居住している歴代の鉄道職員に病人が多く出るのも怨霊のためではないかといわれた。昭和34年6月24日、これら痛恨で眠れぬままさまよい迷える魂の供養を営むべく、留辺蘂町長をはじめ当時の中湧別保線区の協力により、歓和地蔵尊を建立牛入魂地蔵祭が執行された。それ以来、毎年6月24日には地蔵祭を行っている。霊を慰めてる地蔵尊は、ここで鉄道建設に捧げられた尊い犠牲者の御霊を永久に祭り、さらに今日の石北本線の一環である常紋信号場の安全と職員ならびに家族の精神の安定に寄与されているものである。


↑先頭へ