1897年11月の出来事


年代:1897年11月

六号野上駅逓 二代目取扱人 角谷政衛が野上地域に広大な土地の払下を受けて角谷農場を開設
六号野上駅逓の宿泊料は一泊25銭と35銭に分かれていた。外国人は一円と決められていた。明治42年7月発行の「殖民広報49号」によると、野上駅逓の宿泊料は二食付きで一泊75銭と55銭の二種に分かれていた。六号駅逓の管理人角谷は、新潟県魚沼郡神立村で生糸商人角谷九郎の次男として嘉永5年5月に生まれた。中年になって生家の経営が不振に陥ったので、北海道で養蚕などで一旗挙げる夢を抱き来道するが失敗に終わった。角谷は明治24年、紋別で酒屋を営んでいた従弟の笛田茂作宅に身を寄せたが、笛田の骨折りにより、多数の競願者の中から角谷が六号野上駅逓の管理人として開業した。26年7月、笛田死亡後、角谷は二代目取扱人に任命された。これが遠軽町に初めて和人の居住であり、遠軽地方の原野開発の糸口を開いた人といわれている。(遠軽町百年史より抜粋)


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