1920年7月の出来事


年代:1920年7月

信太寿之が「遠軽駅分岐点及び湧別線に関する争点」というパンフレットを公にして呼びかけを行い分岐駅を遠軽にと呼びかけを行った

分岐駅争奪

「旭遠線」の分岐になる駅の位置について、遠軽と生野(現安国)との間では激しい争奪戦が展開されました。生野側は瀬戸瀬駅から生野に直行させようとして、生野の須見勝三郎が先頭に立ち自分の所有地を鉄道地として鉄道院に提供するなど猛烈な駅の誘致運動を展開しました。

遠軽では信太寿之・菊池明十郎などが先頭に立ち生野との激しい争いを続けました。生野の須見・遠軽の信太は寝食を忘れ、私財をなげうってまでこの運動に没頭し、ともに破産状態に陥るほどでした。
その運動の中で、信太は大正9年7月に「遠軽駅分岐点及び湧別線に関する争点」というパンフレットを公にして分岐駅を遠軽にと呼びかけを行いました。
その後、分岐点の位置決定は両者ともに鉄道院当局の裁量に任せ、最終的に遠軽に設置することが決定しました。


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